「海南市お菓子の振興に関する条例」が制定されました!

更新日:2021年03月01日

 平成30年海南市議会11月定例会に提出された「海南市お菓子の振興に関する条例」の議案が、12月20日(木曜日)に全会一致で可決されました。

 本条例は、本市がお菓子発祥の地であることを活かし、商品開発・食べ方の考案・情報発信など、市・事業者・市民が一体となって地域の振興に努めることを定めています。

 定例会閉会後、海南市役所にて神出市長、川崎議長、そして条例制定を請願された鱧の街・菓子の街海南プロジェクト実行委員会の菓子グループの皆さんとともに記者会見が開かれました。会見の中で、菓子グループ代表の野田智也さんは「お菓子の聖地となるように官民一体となって地域を盛り上げていきたい!」と意気込みを語ってくれました。

 この条例は同日から施行され、今後、土産物の開発やイベント実施など、地域が明るくなるような取り組みが期待されます。

 

記者会見の様子

下津町にある橘本神社には、全国でも珍しいお菓子の神様「田道間守命(タジマモリノミコト)」を奉っています。神話期、垂仁天皇の命により、田道間守が中国に渡り、不老長寿の霊果として橘の木を持ち帰ったと古事記、日本書紀に記されており、その橘が初めて移植された場所が、「六本樹の丘」と言われています。橘は、「温州みかん」の原種と言われるとともに「菓子」の起源され、田道間守は、お菓子の神様として崇められるようになりました。

そのようなエピソードから、海南市は「みかん・お菓子発祥の地」を言われています。

 

【お菓子のはぢまり】

むかしむかし、大むかし。タヂマモリという男がいました。
ある日のこと。タヂマモリは天皇によびだされました。

「食べると年をとることなく、いつまでも生きられる実があるという。
その実をさがして持ってきてほしい。」
それは『ときじくのかぐのこのみ』という実で、
海の向こうの遠い国にあるのだと天皇は言いました。

タヂマモリは荒れた海をわたり、けわしい山をいくつもこえて実をさがしました。
春が来て、夏、秋、冬がすぎ、また春が来ても実は見つかりません。
季節がいくつもめぐっていきました。

長い年月をかけ、タヂマモリはやっとのことで、『ときじくのかぐのこのみ』を持って帰りました。ところが、天皇はタヂマモリが帰る少し前になくなっていたのです。
悲しみのあまり、タヂマモリは天皇の後を追って死んでしましました。

タヂマモリが持って帰った実は、海南市下津町の橘本に植えられました。
『ときじくのかぐのこのみ』は、あたたかい土地ですくすくと育ちました。

『ときじくのかぐのこのみ』は、今の言葉で言うと橘。
みかんの元となったくだものです。
むかしの人は橘をお菓子として食べていました。

また、日本ではじめて橘が植えられた橘本神社には、タヂマモリがみかんとお菓子の神様としてまつられています。

(「たちばなとお菓子のものがたり」より抜粋)

 

毎年4月には、橘本神社で「菓子祭」が行われ、全国約180社の菓子業者から銘菓が奉献されています。

「お菓子の総本山」である海南市にぜひ一度お越しください。

 

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